我々トップハウスは、1986年の創業以来、お客様とともに歩み、時代の変化に挑み続けてきました。
創業者であり代表でもある私、門之園は鹿児島の小さな町で生まれ育ちました。
幼少期から「いつか大きな舞台で自分の力を試したい」という想いを抱いており、高校卒業後、日産に就職し神奈川に移り住みました。
「鹿児島に錦を飾りたい」――それは、家族や故郷への感謝を形にするという強い想いであり、私が仕事を通じて成し遂げたい目標の一つでもあります。
この信念が、数々の困難を乗り越える力となり、時代の波を乗りこなす原動力になってきました。
創業の軌跡
トップハウスの始まりは、決して華やかなものではありませんでした。21歳で日産を退職し、大阪に移り住み「錦を飾りたい強い想い」を胸にバッグメーカーで修行を積み26歳で200万円の自己資金を元手に、大阪でバッグメーカーを創業しました。「自分で人生を切り開きたい」「家族や故郷に誇れる存在になりたい」という思いを胸に、ゼロからのスタートを切ったのです。
創業初年度、スタートから商品が思うように売れず必死にもがき苦しみ洗礼を受けました。半年が経った頃、自らの手でデザインしたバッグが大きな支持を受け、売上3000万円を達成しました。この成功は、「夢は行動によって現実になる」という確信が自信になりました。しかし、それ以上に、自らのアイデアや行動が世の中に受け入れられる喜びが、次の挑戦へのエネルギーとなりました。
特に、デニム素材のワッペン付きバッグが大ヒットした時、私は「自分のアイデアが世の中を動かせる」という手応えを実感しました。それは、ビジネスの楽しさを教えてくれる一つの大きな出来事でした。
ネットビジネスへのシフト
トップハウスが成長を続ける中、私は一度大きな試練に直面しました。それは、取引先の倒産が続き5000万円の不渡りを食らったことでした。
2004年、リアル店舗だけでは限界が見え始める中で、私はネット販売への移行を決断しました。「これからはネットの時代だ」という直感を信じ、事業を大きく転換する勇気ある選択でした。
「最初は不安だらけだったけど、挑戦しない後悔の方が怖かった」と当時を時折振り返ります。ネットビジネスに参入することで、エンドユーザーとの接点を持ち、中国工場との信頼関係を築くことで生産体制を整え、さらに高品質な商品を効率的に提供する体制を整えました。この転換は、次なる成長の扉を開くきっかけとなり、現在ではネット販売が売上の大部分を占める事業の柱となっています。
現在の事業展開と課題
現在、私たちは「バッグは単なる道具ではなく、ファッションの一部である」という価値観を共有しながら、さらに進化を続けています。良い素材、良い技術、そしてデザインに愛情を込めた商品を提供することを大切にし、より多くのお客様に満足していただけるよう努めています。
コロナ禍では、リアル店舗の閉鎖という苦渋の決断を迫られましたが、「社員とお客様を守るために」という信念のもと、ネット販売に完全移行し、社員たちと共に知恵を絞りながら1年でV字回復を果たしました。「どんな困難でも、共に乗り越えてきた仲間がいるからこそ、ここまで来られた」という思いは、これからも私たちを支える柱となります。
未来への展望
「ビッグになりたい」という夢は、まだ道半ばです。しかし、私が目指す「ビッグ」は単なる売上や規模の話ではありません。それは、「社員が誇りを持って働ける会社」「お客様にとってなくてはならない会社」という、人々との絆に支えられた姿です。
「夢を持ち続けている限り、人は成長できる」――この言葉を胸に、さらなる発展を目指しながら、次世代が夢を描き、実現できる環境を創っていきます。さらに、鹿児島の地でいつか「錦を飾る」という夢を叶えられるよう、挑戦を続けていきます。